祝融

孟獲の美しき妻
伝説の神、祝融氏の子孫
弓と鎚を使わせれば男にひけをとらない

朶思大王

蜀の丞相、諸葛亮の南征の時、七縦七キンの故事で有名な孟獲が四度目の釈放の後に身を寄せたのが、禿竜洞の朶思大王であった。
朶思は、「二筋ある禿竜洞への東北の道を封鎖すれば、残りの道には飲み水がなく、あるのは、口がきけなくなり十日以内に死ぬ『唖泉』、皮肉がただれ、骨が露出して死ぬ『滅泉』、手足が黒くなって死ぬ『黒泉』、体が綿のように柔らかくなって死ぬ『柔泉』の四つの毒泉。この地を越えたのは漢の伏波将軍馬援(馬超の先祖)のみ。たとえ百万の大軍でも恐れることはない」と進言し、孟獲を喜ばせた。
しかし、孟獲の兄で万安隠者こと孟節が、諸葛亮に毒泉の解毒方法を教えたため、蜀軍は四つの毒泉を無事越えて禿竜洞に進撃し、また、洞の西、銀冶洞の楊鋒が蜀へ寝返ったこともあり、孟獲共々捕らえられてしまう。しかしすぐ釈放された。
その後は孟獲の命により、三江城にて蜀軍への守りにあたり、趙雲、魏延の軍勢を退けたが、諸葛亮の計略にかかり城は落とされ、朶思自身も乱戦の中、討死してしまう。
四つの毒泉にて諸葛亮を苦しめた知略といい、蜀の名将、趙雲、魏延を敗走させた勇猛果敢な戦ぶりといい、「南蛮一の知恵者」の異名はダテじゃない!
劉備が入蜀する前に南蛮の精鋭を率いて成都へ進撃していれば、朶思大王は「中国一の知恵者」と後々まで語り継がれ、三国志も、魏・呉・蛮の物語になっていた??

帯来洞主

孟獲の妻の弟。
蜀軍の南蛮平定の際、孟獲が三江城に布陣した時、木鹿大王に加勢を求めるように進言した。
孟獲は大いに喜んで木鹿大王を招く使者として帯来洞主を遣わした。
 三江城が落とされ木鹿大王が敗れると、 「孟獲達に降伏を勧めたが受け入れられなかったので一族を縛って引っ立ててきた。」 と偽って孟獲等とともに諸葛亮のもとを訪れたが、見破られて取り押さえられた。
諸葛亮に解き放されると、烏戈国の兀突骨に加勢を求めるように孟獲に進言した。
兀突骨が敗れて孟獲等とともに捕えられた。
孟獲が蜀に帰順するとともに従った

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